沿革

日清戦争集結から2年後、明治30年創業。

明治30年に東原槇彌が胡麻油など食用油の小売商として橋本屋は創業しました。以後日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦と激動の時代の中で暖簾を守り続けてきました。橋本屋の信条は、この創業期の経営姿勢が盛り込まれています。

沿革

1897年(明治30年) 東京市深川区深川裏大工町にて東原槇彌の個人営業により油屋を創業
1914年(大正3年) 東京市小石川区氷川下町に移転、二代目東原春吉の代となり、食用油・石油の卸商となる
1934年(昭和9年) 橋本屋油店を合資会社に変更
1935年(昭和10年) 二代目店主春吉死去により、同年12月春吉妻の東原み津代が三代目店主となり営業を引き継ぐ
1937年(昭和12年) 東京油問屋市場営業人となる
1948年(昭和23年) 9月
株式会社橋本屋油店を設立、資本金50万円
代表取締役にみ津代長男東原博成就任四代目店主となる
油糧配給公団工業用食用油の指定販売店となる
1953年(昭和28年) 1月 資本金100万円に増資
8月 豊島区巣鴨7丁目に大塚給油所を開設
12月 出光興産株式会社特約店となる
1957年(昭和32年) 4月 豊年製油株式会社特約店となる

当時の様子

高度経済成長、 自動車販売台数が急増した時代。

日本は年率10%の経済成長を遂げ、高度成長時代に突入しました。1969年には世界第2位の経済大国になりました。特に乗用車の保有台数は、1967年に1,000万台を突破。橋本屋は給油所や自動車整備工場の開設(後に民間車検場)で旺盛な民間需要に応えた時代でした。

沿革

1958年(昭和33年) 12月 自動車整備工場を併設し、普通自動車整備の認証工場に指定される
1961年(昭和36年) 7月 株式会社橋本屋油店から株式会社橋本屋に社名変更 資本金を200万円に増資
1963年(昭和38年) 4月 文京区氷川下町62番地に氷川下給油所を開設
8月 資本金を280万円に増資
12月 資本金を360万円に増資
1964年(昭和39年) 7月 資本金を500万円に増資
11月 鉄筋コンクリート2階建の本社及び大塚給油所を新築
1966年(昭和41年) 6月 資本金を550万円に増資
1967年(昭和42年) 7月 資本金を600万円に増資
1968年(昭和43年) 3月
出光興産株式会社との特約契約を解除
日本石油株式会社特約店となる
6月
資本金を700万円に増資し、埼玉県川越市福田字山沢147番地に川越営業所を開設
1969年(昭和44年) 2月 豊年製油株式会社と特約契約を解除
1972年(昭和47年) 6月 株式会社北川鉄工所の無煙焼却炉特約店となる
1973年(昭和48年) 8月 板橋区仲宿51番8号で板橋仲宿給油所を運営開始
1974年(昭和49年) 3月 東京陸運局指定民間車検工場となる
10月 三代目店主 東原み津代死去
11月 栃木県宇都宮市塙田3丁目5番地24号に宇都宮出張所を開設
1975年(昭和50年) 7月 資本金を1,200万円に増資
1976年(昭和51年) 1月
千石給油所(旧永川下給油所)を廃止し駐車場にする
宇都宮出張所を栃木県芳賀郡益子町七井へ移転

将来を見越した川越営業所の開設

橋本屋は1968年に川越営業所を開設しました。埼玉県は自動車部品メーカーが多く(国内5位)潤滑油などの石油製品の需要が見込まれること、また東北・北関東への中継地としての魅力もあります。
埼玉支店となった川越営業所は、当時倉庫1棟を危険品営業倉庫として許可され営業していました。現在も危険物倉庫として運用されており、広い敷地を確保した先見性が今に活きています。

当時の様子

昭和33年12月、橋本屋大塚給油所に自動車整備工事を併設。設備工場は普通自動車整備認証工場に指定される
昭和34年1月、整備工場が新設された大塚給油所の前で撮影。日本髪姿の女性社員も見える
昭和34年1月、大塚給油所前で親子のスリーショット。左から四代目社長 東原博成、専務 東原勇夫、三代目店主東原み津代

1億総中流からバブル経済、バブル崩壊へ。

1986年からバブル時代が始まったと言われています。橋本屋は、バブル時代もバブル崩壊後もそのあゆみに違いはありません。危険品営業倉庫を新設するなど、次の時代を考えた布石を打ってまいりました。橋本屋は時代の空気とは別に自社のやるべきことを探求し続けております。

沿革

1978年(昭和53年) 3月
宇都宮出張所を閉鎖し、川越営業所に統合
栃木県宇都宮市と群馬県太田市に駐在員を置く
1984年(昭和59年) 8月
川越営業所から宇都宮営業所及び倉庫を分離し、
栃木県宇都宮市上柔島町字西原1273番地21号に再開
1986年(昭和61年) 8月 千石駐車場に店舗・事務所用ビルを建設、テナント事業を開始
1987年(昭和62年) 3月 板橋仲宿給油を閉鎖
1990年(平成2年) 3月
宇都宮営業所を栃木県芳賀郡市貝町大字上根1325-1に移転
栃木営業所に名称を変更並びに危険品営業倉庫業を開始
1991年(平成3年) 4月 本社をJR大塚駅前のKSKビルに移転

7月
川越営業所を改築。大塚給油所・民間車検場も改築し、
更にプラタナスロード大塚給油所・民間車検場テックス大塚と名称変更して新装オープン

1993年(平成5年) 7月 川越営業所倉庫1棟を危険品営業倉庫として許可される
1995年(平成7年) 8月 浜松営業所を静岡県浜松市佐鳴台1丁目2番26号に開設
1997年(平成9年) 4月 本社を大塚給油所・民間車検工場併設の本社社屋に移転

現在の2事業部の転換点1991年

橋本屋の1991年は施設の更大を相次いで行っ年でした川越営業所(現埼玉支)の改築大塚給油所を新装オープン同時に給油所する民間車検場も改築最新の設備を備えた『テックス大塚としオープンしまし
現在の石油製品の販売や自動車用特殊燃料調達を行う産業販売部民間車検場を中心とし自動車事業というコア事業はこの時期に確立したと言えます

バブル崩壊後の橋本屋の布石

1990年を境にバブル景気は崩壊しました。世の中の大部分の人が不景気だと体感し始めたのは1992年、1993年頃でしょうか。その頃橋本屋では川越営業所(現埼玉支店)の倉庫が危険品営業倉庫として認可されています(1993年7月)。これは、給油所や民間車検場などの個人顧客相手の仕事と同時に、法人顧客相手の仕事への布石を打っていたことを示しています。
120年間事業を継続してきた橋本屋らしさがここにあります。

当時の様子

1991年、栃木営業所の竣工式
自動車潤滑油などが並ぶ川越営業所内バックヤード
川越営業所竣工式。玄関の前にて
大塚給油所オープン。のぼりがにぎやか
大塚給油所オープンフェア「景品をどうぞ」
1993年に許可をうけた川越営業所の危険品営業倉庫
栃木営業所玄関
川越営業所玄関
栃木営業所の危険品営業倉庫
車検場内部当時の最先端の設備
大塚の民間車検場外観
車検場内部
本社のあったKSKビルの外観

石油製品のトータルサービスへの道。

橋本屋は石油製品のエキスパートとしての道を歩み始めました。石油製品の調達から分析、効率化提案、廃棄までのトータルなご提案を行う会社としてサービスの領域を広げています。プロ集団として社会に貢献すること。これが次の100年も変わらぬ橋本屋の姿勢です。

沿革

1998年(平成10年) 7月 平成10年度自動車分解事業者関東連輸局東京陸運局支局長表彰
2000年(平成12年) 6月 浜松営業所を静岡県浜松市大平台3丁目2番5号に移転
2002年(平成14年) 5月
東原博成 代表取締役会長に就任
東原孝能 代表取締役社長に就任
2004年(平成16年) 3月 大塚給油所を閉鎖し民間車検工場にする
2006年(平成18年) 10月 代表取締役会長(四代目店主)東原博成死去
2007年(平成19年) 10月 平成19年環境指向型事業場東京陸運支局長表彰
2008年(平成20年) 12月 ISO14001認定取得
2010年(平成22年) 10月 平成22年環境指向型事業場関東運輸局長表彰
2013年(平成25年) 1月 川越営業所を埼玉支店、栃木営業所を栃木支店に名称変更
2017年(平成29年) 3月 3月31日を持って浜松営業所を閉鎖
9月 創業120周年を迎える

コアコンピテンシーを磨く会社

アコンピテンシーは中核となる技術という意味です
橋本屋は現在燃料油滑油の分析自動車用特燃料の調達環境負荷低減のための廃廃液の処理や削減油の長寿命化など石油製品や燃料に関わる付加価値サービスも手掛けていま危険品営業倉庫も埼玉栃木で5棟が稼働しています
時代要請石油製品技術で応え会社として私たちは社会に貢献してまいります

当時の様子

大塚給油所の竣工式風景
給油所内待合室。 ゆったりとした空間を設けている
2002年東原博成は取締役会長に、東原孝能は取締役社長に
大塚給油所は民間車検場メインに変貌を遂げました
2016年(平成28年)
2007年(平成19年)
2000年(平成12年)
2007年(平成19年)
2013年(平成25年)